病院で臨床検査技師として働いていると、技術的なデータだけでなく、医療の「選択」に関わる様々なご家族や患者さんの姿を目にします。
先日、癌の術前検査で来院された80代の患者さんがいらっしゃいました。
その方は全介助が必要で、強い認知症もあり、ご自身での意思疎通は難しい状態。検査にはご家族と施設の職員さんが付き添われていました。
車椅子に乗る患者さんの姿を見ながら、私はふと頭をよぎりました。
「この方は、本当に自らの意思で手術を望んでいるのだろうか?」
どうやら手術を強く希望しているのはご家族のようでした。
家族の選択か、本人の意思か
もちろん、患者さんがお元気だった頃に「もし癌になったら最後まで治療してほしい」とご家族に伝えていたのかもしれません。
ですが、日本においては「自分が病気になったとき、どういう医療を受けたいか」を事前に家族と話している人は、まだまだ非常に少ないのが現状です。
たとえ本人の意思を聞いていたとしても、いざその時になると「少しでも長生きしてほしい」というご家族の強い思いが優先されるケースも少なくありません。
こういうご家族と患者さんの間に挟まれる葛藤は、検査を行う私たち技師以上に、日頃から患者さんやご家族と深く接する看護師さんたちの方が、より強く感じていることかもしれません。
医療が進歩したからこそ問われる「意思の残し方」
現代の医療技術は素晴らしく、高齢であっても手術や治療ができる選択肢が増えました。
しかし、だからこそ「本人が望む生き方・逝き方とは何か?」という問題が、以前にも増して重くのしかかってきます。
「元気なうちから、もしもの時の医療やケアについて家族と話し合っておく」
厚生労働省なども「人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)」として普及を進めていますが、現場にいると、この取り組みがどれほど重要かを痛感させられます。
まとめ:自分の意思を家族に伝えておくということ
今回は少し真面目で深いテーマになりましたが、医療現場に身を置く人間として、決して他人事とは思えない出来事でした。
自分自身が歳を重ねたときはもちろん、自分の親とも「どんな医療を受けたいか」「何を大切にしたいか」を普段からオープンに話しておくこと。
それが、残される家族に「重い選択」を背負わせないための、最高の思いやりなのかもしれません。
自分と大切な家族の「 NOと言える自由 」と「望む生き方」を守るためにも、日常の中でお金の話と同じくらい、こうした医療や生き方の話もオープンにできる世の中になってほしいと感じています。



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